夕飯は秋田で
何故かのんびりと支度をし、いつもの如くギリギリに駅の券売機に駆け込む。
こちらの方へ向かう新幹線に乗るのははじめてだな、と思いつつ、切符を買う。
秋田新幹線、こまち号。
4,420円也、予想していたより安くて驚く。
そうして、家を出て30分のうちには新幹線に乗り込んでいる。何とも便利な家だと思う。
わたしがこんな時間に夕飯も食べず一目散に秋田へ向かうのは、
K氏に会うためである。
K氏は、紆余曲折あり盛岡で出会った2ヶ月後には秋田に移動してしまった、忙しい人だ。
そしてわたしの恋人、なのだ。
K氏は飲食店勤務である。
そのためか、美味しい食べものが大好きだ。
いつだか銀座のお寿司屋さんで3万円使った話を聞いた時には流石に驚いたが、
わたしも好きなアーティストのライブ2時間半のために交通費宿泊費チケット代グッズ代エトセトラで3万円くらい使う、いやもっと使うなと思えば納得だ。
そんなK氏とはじめて2人で出かけたのは、ラーメン屋だった。まぜそばを食べに。
K氏がインスタで見つけたというラーメン屋は(インスタで食べもの屋さんの投稿をチェックしているあたりがグルメだなと思った)、偶然にもバイト先のすぐそばだった。
カウンターで並び、まぜそばを食べながら色々な話をした。
他愛もない話から少し真面目な話もしていた、気がする。
どんな話をしたのかは正直断片的にしか覚えていないのだが、とにかく楽しかった。
あっという間に日付が変わっていた。
またこの人と一緒にご飯を食べ、話したいと思った。
再びのラーメン、鳥料理の居酒屋、日本酒居酒屋でご飯を食べたが、
ぜんぶ楽しくて、K氏とふたりだと2倍美味しく感じられて、
幸せも一緒に噛み締めていた。
お付き合いするようになってからはお家でご飯を食べるようになって。
K氏が作ってくれるご飯は、わたしの食卓には馴染みのないものばかりで新鮮で、
わたしが作るご飯をうまいうまいと食べてくれるのが嬉しくて、
気がつけばK氏の家に入り浸っていた。
K氏が作ってくれた、今までで一番好みの味なんじゃないかっていうシチュー。
クリスマスに食べた、少し背伸びした焼肉屋のコース料理。
お正月に作ったお雑煮とブリの照り焼き(これは我が実家でのお正月メニューなのだ)。
K氏とご飯を食べる時間はわたしにとって至福の時なのである。晩酌が付くと尚良い。
そして今日もK氏とご飯を食べたくて、バイト終わりに新幹線に乗ったのであった。
現在21時45分、秋田駅の待合ラウンジにて。
夕飯のメニューはしゃぶしゃぶにしようかなとさっきLINEが来ていたの思い出して、お腹がぐうとなる。
あたたかいのは/どんと祭
実感もないまま年が明けて1月も半分が過ぎ、気づけば15日、小正月。
3日前くらいに、そうかもうすぐどんと祭ではないか、と気づき。
調べてみると盛岡は15日にどんと祭のお焚き上げがあるという。
仙台では14日にやっていたなと思い出しつつ、去る2018年のお守りをまとめて支度をした。
15日、早起きするつもりだったのを寝過ごす。夕方、行くか迷って重い腰を上げて家を出る。
偶然にも、16時半から裸参りが始まっているらしい、と知る。
そして、盛岡八幡宮。
あたりはすっかり暗くなって、境内の明るさとにぎやかさが一層際立つ。
裸参りの列が鳥居をくぐって参道を歩いている。
はだかにさらしを巻いてわらじを履き、拝殿を目指す人びと。そしてそれを見守る人びと。
初めて見るその光景に目を奪われた。
口に含み紙をくわえて一歩ずつ歩く厳かな姿。
見守る人びとが向ける静かで熱い視線。
屋台の眩しさと売り子さんの掛け声。
石段の先で神主さんたちが見せる労いの笑顔と御神酒。
その全部がこの行事を作って、意味を持たせていて。
今日の最低気温は氷点下8.6度。
そんな中、体を清めて願を掛け肴町から八幡宮まで700m。
それは自分の中の何かに打ち勝とうと戦っているようでもあり、自分にとって大切な人のためを願っているようでもあり。
ありきたりな言い方だけれど、とてもかっこいいと思った。
でもそんなことも、直に見なければ感じられなかったことで。
ああ、今日のこの時間に来て良かったと思いながら、1時間ほど見つめていた。
途中、鳥居の下にいた裸参りの道中の男性。
その家族が参道の端から見守っていた。
まだちいさな娘さんが男性に向かって「パパがんばれ!パパかっこいい!」と声をかけると、
男性は含み紙をしたまま小さく笑い、ささやかに手を振った。
本来は脇目を振らず神様へ一心に向かうべきなのかもしれないが、
その男性があまりにあたたかく優しい目をしていて、
少し涙が出た。
そしてお焚き上げにお守りをくべてあたたまったのち、拝殿に手を合わせ今年の安泰を願ったのだった。
そういえばおみくじ、引いていないなあ。