あたたかいのは/どんと祭
実感もないまま年が明けて1月も半分が過ぎ、気づけば15日、小正月。
3日前くらいに、そうかもうすぐどんと祭ではないか、と気づき。
調べてみると盛岡は15日にどんと祭のお焚き上げがあるという。
仙台では14日にやっていたなと思い出しつつ、去る2018年のお守りをまとめて支度をした。
15日、早起きするつもりだったのを寝過ごす。夕方、行くか迷って重い腰を上げて家を出る。
偶然にも、16時半から裸参りが始まっているらしい、と知る。
そして、盛岡八幡宮。
あたりはすっかり暗くなって、境内の明るさとにぎやかさが一層際立つ。
裸参りの列が鳥居をくぐって参道を歩いている。
はだかにさらしを巻いてわらじを履き、拝殿を目指す人びと。そしてそれを見守る人びと。
初めて見るその光景に目を奪われた。
口に含み紙をくわえて一歩ずつ歩く厳かな姿。
見守る人びとが向ける静かで熱い視線。
屋台の眩しさと売り子さんの掛け声。
石段の先で神主さんたちが見せる労いの笑顔と御神酒。
その全部がこの行事を作って、意味を持たせていて。
今日の最低気温は氷点下8.6度。
そんな中、体を清めて願を掛け肴町から八幡宮まで700m。
それは自分の中の何かに打ち勝とうと戦っているようでもあり、自分にとって大切な人のためを願っているようでもあり。
ありきたりな言い方だけれど、とてもかっこいいと思った。
でもそんなことも、直に見なければ感じられなかったことで。
ああ、今日のこの時間に来て良かったと思いながら、1時間ほど見つめていた。
途中、鳥居の下にいた裸参りの道中の男性。
その家族が参道の端から見守っていた。
まだちいさな娘さんが男性に向かって「パパがんばれ!パパかっこいい!」と声をかけると、
男性は含み紙をしたまま小さく笑い、ささやかに手を振った。
本来は脇目を振らず神様へ一心に向かうべきなのかもしれないが、
その男性があまりにあたたかく優しい目をしていて、
少し涙が出た。
そしてお焚き上げにお守りをくべてあたたまったのち、拝殿に手を合わせ今年の安泰を願ったのだった。
そういえばおみくじ、引いていないなあ。